サラリーマンって、会社の外じゃただのオッサンだった件。

日々の気づき・子育て戦略


僕は35歳のサラリーマンで、共働き3児の父。
そして今、1年4ヶ月という長い育休を取得し、久々に“会社の外”から社会を眺める時間を持ちました。

その中で強く感じたのは――

サラリーマンって、会社という狭い世界の中でしか通用しない存在かもしれない。

会社では評価されている上司。
部下思いで、論理的で、会議での発言も鋭い。
そんな人が、ふと社外に出た瞬間――

なんだかただのオジサンに見えたんです

  • 太ってる。
  • 疲れてる。
  • 話しかけづらい。
  • 機嫌が読めない。
  • でも社内では「仕事ができる人」。

それを見て、僕は思いました。
「これって、危ないぞ」って。


ここで一度、今回の気づきを図解でまとめてみます。

この図が示すように――
社内で評価される人が、外に出ると“ただの扱いづらいオッサンになる
その原因は、「社内最適化」と「生きる力」の違いにあると感じました。


なぜこうなってしまうのか?
僕なりに考えた答えは、こうです。

サラリーマンは、会社という小さな環境で生き残るために、“それ以外の力”を削ぎ落としている。

  • 健康なんて二の次
  • 外見や人間性は評価されない
  • 柔軟性より忠誠心

まるで進化論的に特化してるように見えました。

その結果、社内では偉くなれるけど――
社外に出たら、ただの「扱いづらいオッサン」になってしまう。

僕自身も、今まさにそのレールの上にいました。
なりたくもないのに、昇進試験を受けさせられ、
「できないと思われたくない」という理由で、それに乗っている自分。

正直、自分が“会社人間化”していることにも、育休中に初めて気づいたんです。


サラリーマン社会にいると、時々こう思うことがあるんです。

「この人、もし小中学生の世界にいたら、たぶんいじめられてるよな…」

  • 太ってて、
  • ちょっとハゲてて、
  • 脂ぎってて、
  • 汗のにおいがしてて
  • やたら気難しくて、
  • 空気が読めない。

でも、会社の中では「優秀な人」とされていて、
後輩たちの前では堂々とした“ロールモデル”になっている。

このギャップに、僕はなんとも言えない違和感を覚えました。

小中学生って、大人と違ってすごく素直です。
その素直な目から見て「尊敬されない人」が、
会社ではなぜか高く評価されている。

人間的に魅力があるかどうかじゃなくて、“社内評価の論理”にどれだけ最適化しているか。

その結果、人格や健康や柔軟性は削ぎ落とされていく。

…それって本当に“生きてる”って言えるんでしょうか?


育休中、僕は10人以上の“サラリーマンを辞めて田舎に移住した人”たちに会いました。
驚いたのは、そのほとんどが「先に辞めて、移住してから考える」人たちだったということ。

彼らはこう言いました。

「仕事はあとからどうにかなる。まずは、自分がどんな暮らしをしたいかを考えた」

そして、実際にカフェを開いたり、木工細工を作って販売したり、料理をふるまったり…。
“自分がやってみたいこと”を、試行錯誤の中で形にしていってるんです。

彼らを見て感じたのは、
これが本当の“生きる力”だということ。

一方で、僕も含めたサラリーマンはこうです。

  • 論理的で優秀
  • 社内評価は高い
  • でも、自分でゼロから何かを生み出す力が弱い

頭がいい代わりに、行動力・柔軟性・人との関係性といった“野生の嗅覚”が削がれている。
会社を出たら、何もできない。何も始められない。

「これはもう一度、自分で“生きる力”を取り戻さないとまずい」と心の底から思いました。


僕がセミリタイアを目指す理由は、会社が嫌だからではありません。
ましてや仕事が嫌いなわけでもない。

ただ、

「このままじゃ、自分の人生を誰かの手に預けたまま終わってしまう」

そんな危機感があるからです。

セミリタイアは、単なる“脱社畜”ではなく、
「自分の足で立つ力を取り戻す再スタート」だと思っています。

たとえば、僕はブログを立ち上げました。
共働き・育児・会社という制約の中で、「どうすれば自分の時間と人生を取り戻せるか?」を発信しています。

これはまさに、会社の外でも“価値を届ける”ことができるかのチャレンジです。


ここまで読んでくださったあなたへ。
最後に、少しだけ未来のことを想像してみてください。


定年まで、65歳…あるいは70歳までサラリーマンとして働き続けたとします。
そしてその頃の自分は、どうなっているでしょうか?

きっと、お金はあるかもしれません。
でもその一方で――

  • 不健康な身体
  • ハゲていて、太っていて
  • 社会との接点も薄れ
  • 自分では気づかないけど、他人から見れば「ちょっと扱いづらい人」になっている

そんな姿になってはいないでしょうか。

そして定年後、再び社会に溶け込もうとしたとき。
その“すっぱだかの自分”で人間関係を築いていくのは、どれほど難しいことか。

想像してみてほしいのです。

サラリーマンの中には、退職後すぐに体調を崩したり、命を落としてしまう人もいます。
理由は、生きがいを失ったことかもしれません。
でもそれ以上に――

「社会の中にもう、自分の居場所がなかった」

という孤立感が、その人を追い詰めたのかもしれません。


だからこそ、僕は言いたい。

セミリタイアは、逃げじゃない。
人生の最終章を、自分の足で歩きはじめるための準備なんです。

今この瞬間から、「肩書きのない自分」で人に価値を届けられる準備を始めましょう。
会社の外でも、“生きる力”を持てるように。

未来の自分と、今の自分に向けて、こう伝えたい。

3児の父
3児の父

一緒に頑張りましょう。


セミリタイヤを目指す方法は以下を参考にしてください。

皆さんのセミリタイヤに向けた生活を応援します。

では、また!

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